「人様に迷惑をかけないように❗️」
と言われて育ったし、自分が子育てしている時にもそうでなければならないと思っていました。最初は。
でも段々、考え方が変わってきたのですよね。「子供は家庭内で完結させて育てるもんじゃない」と。
長男が幼稚園に通ってる頃には、「我が子はたくさんの大人に面倒を見てもらおう」と思うようになっていました。なぜなら子供は
社会に出ていくものだから。
「社会=たくさんの人との関わりを持って、自分のできる役割を果たす」。そのためには、たくさんの人との関わりに慣れておいた方がいいと気づいたからです。
ちなみに生家では、家庭内に多数の人間関係がありました(6人姉弟妹8人家族、斜向かいに本家があり親戚の大叔父大叔母が住んでいた)。だからよその人との関わりなくしても「色んな人がいる」を肌で感じることができていました。
そして、大人になって思い出したのが「友達のご両親に可愛がっていただいたな」←親は意図せずですが、下に弟妹が多かったので親以外の大人に懐きに行ったのだと思います。安心して甘えられる大人って、子供にとっては必要なのですね。あの頃はお世話になりました。
昔は近所の人が挨拶や注意などしてくれる、地域で子育てするような環境だったから特段意識せずともそれができていたのですが、今は核家族化が進んで、そこに「人様に迷惑をかけないように❗️」が過度に助長されて
家族以外の人との関わりが希薄に
そうすると、子供の生育に必要な全てのことを家庭内でやらねばならなくなる…さらに「叱らない子育て」などが流行ってしまったから…
できないことを学校に求めるようになるのだなと。例えば「しつけ」ですね。それから、ちょっとした「冒険心」。やっていいことといけないことの「境界線探し」。
これらが今、学校に求められてしまって、学校の機能がパンクし、教員を逼迫、教員のなり手不足、教員の質低下(高い志を持って教師になる人が減っている)、結局子供の教育環境の悪化に繋がってしまっているのではないかと感じています。
子供のしつけには叱ることも必要、そしてそれができるのは、信頼関係を深く築けている親が1番。子供を信じることは必要だけど、子供がトラブル起こしてよその人から注意を受けたなら謙虚に受け止める。そのあとで子供本人の言い分を聞いて、もし仮に理不尽に叱られたとしても叱ってくれた人を責めず「色んな大人がいる」ことを学ばせる。
言葉にするのは簡単ですが、これを十数年続けるのはなかなか根性がいりました(笑)。
そして自分や子供たちが人様に迷惑をかけるのと同じだけ、自分たちも迷惑を引き受ける覚悟が必要ということです。
ちなみにコレ、子育てに限らないと思うのですよね。
何か役割が回ってきた時に「完璧にできない(自分だけで役割を果たしきれない)から」と断ったら、自分の人間力の成長を止めてしまう。「迷惑かけないように小さな器の中で子育てする」のと同じ感じです。
迷惑は、かけるものだし、かけられるもの。
現代の窮屈な子育て世代を中心に、そんなおおらかな気持ちを取り戻してほしいなと思います。そのためには受け止める器(大人世代の覚悟)が不可欠ですよね。
自分たちも社会全体にお世話になっているので、もう一歩進めて「迷惑、かけちゃったらごめんあそばせ♪」というつもりでリミッターを少し緩めて、冒険心に火をつけちゃいましょう😊
